ちょび髭、ステッキ、山高帽という独特のスタイルで、今なお世界中で愛される喜劇王チャップリン。 『独裁者』『街の灯』『モダン・タイムス』など数々の名作で監督・脚本・主演・作曲までつとめた彼は、マルチなクリエイターであると同時に、キャラクター・ビジネスの創始にかかわった辣腕ビジネスパーソンでもあった。 本書は、チャールズ・チャップリン(1889-1977)の生涯と作品を紹介しつつ、ビジネスやダイバーシティなど現代的な視点から彼の本質に迫る入門書。 チャップリン(本名チャールズ・スペンサー・チャップリン)は、1889年にロンドン南部の貧困地区で、ミュージック・ホールの芸人だった両親のもと生まれた。幼少期から極貧生活を送った彼は、5歳で初舞台を踏み、舞台役者として修行を積んだ後、1914年、米国でスクリーンデビューを果たす。 著者は、脚本家・演出家・日本チャップリン協会会長で、日本におけるチャップリンの権利の代理店も務める、チャップリン研究の第一人者。
「チャップリンって人間なんですか?」
少し前に美容院で髪を切った時のことです。若い美容師さんとの他愛ない世間話の中で、「お客さんは何してはるんですか」と聞かれて、チャップリンの研究や映画や演劇の仕事をしていますと答えました。すると彼女は、「ああ、チャップリン! 知ってます。面白いですよね」と応じてくれました。 おそらくはチャップリンの映画をご覧になったことのない方でしたが、ちょび髭の放浪紳士のことはご存知なのです。やっぱりチャップリンってすごいなあと思っていると、美容師さんは私に、「ところで、チャップリンって生きてるんですか? 人間なんですか?」と真顔で言いました。あれは生身の人間なのか、それともミッキーマウスと同じようなキャラクターなのか、という意味で私に聞いていたようでした。 私はこのエピソードの中にチャップリンのすごさ、もっと言えばチャップリンの本質があると思っています。 たとえば、「にちようチャップリン」というテレビのバラエティ番組があります。若手の芸人さんたちがネタを披露するお笑い番組です。番組タイトルのロゴには、チャップリンのトレードマークであるちょび髭や山高帽がデザインされ、あの喜劇王にちなんでいるんだなということがわかります。あるいは、私が小さい頃の朝日新聞の映画欄のマークは、チャップリンのキャラクターのシルエットでした。 つまり、「チャップリン」という個人の名前が、「お笑い」や「映画」のジャンルそのものをあらわす一般名詞となり、その風貌や扮装はそれらのジャンルの象徴になっている。一人の生身の人間が特定のジャンルを象徴するキャラクターになっているというのは驚くべきことです。しかも、生誕から130年以上経った日本での話です。まさに時代と国境を越える存在です。 では、なぜチャップリンはそんな普遍的なキャラクターになれたのでしょうか? 私は、「なぜ普遍的なキャラクターになれたのか」という問い自体が不完全なものだと考えています。というのも、そもそもチャップリン以前には「普遍的なキャラクター」は存在しなかったからです。 例えば、ミッキーマウスのようなキャラクターは現在では当たり前のように世界中で知られていますが、そもそも「世界中で動くイメージを共有する」という現象は、映画の発明とともに可能となったことです。そして、チャップリンは映画史上初めて世界中でほぼ同時に大規模に映画を公開した最初の人物です。つまり、彼は「動いている姿が世界中の人にほぼ同時に見られた歴史上最初の人」なのです。 世界中の人が同じ動画を共有し同じキャラクターを見て楽しむ状況は、現在ではYouTubeなどで日常のことになっています。チャップリンは、〈今〉という時代の本質を形作る映像メディアを最大限に使いこなし、そのイメージを世界中でバズらせて、キャラクターをビジネスにした最初の人物なのです。
放浪紳士チャーリーで「庶民・夢・権力」を描く
チャップリンと言えば、あの「放浪紳士」の扮装──ちょび髭、ドタ靴、山高帽、きつい上着に、だぶだぶのズボンを思い浮かべます。 1914年1月6日、(*米国のキーストン映画社と契約したばかりで)まだ新人だったチャップリンは、『メイベルのおかしな災難』という作品の撮影中、ホテルのロビーのセットの前で見学をしていました。その時監督のマック・セネットは葉巻をくわえたまま、「ここにギャグが欲しいな」とチャップリンの方を振り向いて、「なにか喜劇の扮装をしてこい、なんでもいいから」と言ったのです。 チャップリンは大いに困ります。何のアイディアもなかったのですが、「衣裳部屋に行くあいだに、ダブダブのズボン、大きな靴、ステッキ、山高帽」という組み合わせの扮装が浮かびます。その狙いは、「すべてをチグハグに」ということでした。そして、セネットに見た目が若すぎると不安がられたことがあったので、若さを隠すために小さな口ひげをつけました。 衣裳をつけメイクをし、セットに立った時には、「ひとりの人物が生まれて」いたとチャップリンは回想しています。そして、「この男には多くの側面があります。浮浪者で紳士、詩人で夢想家。孤独な男で、いつもロマンスと冒険を期待しています」とセネットに人物像を語りました。その後四半世紀にわたって、衣裳をほとんど変えることなく「放浪紳士チャーリー」を演じ続けることになります。 キーストンとの契約が満期に近づいた時、セネットは契約更新を求めてチャップリンに週給500ドルという破格の条件を提示しました。しかし、チャップリンは、1,000ドル以下は無理ですと答えます。その時にチャップリンが言い放った言葉が、「僕は、公園と警官とかわい子ちゃんさえあれば、コメディを作れます」でした。 この発言にはチャップリンの本質が凝縮されています。「公園」とは、世界中のどこにでもある場所です。「会社」や「学校」のように用途が決まっているわけではない、人と人が出会い集う、あるいは孤独にたたずむ、「ただの場所」です。「警官」とは権力の象徴、「かわい子ちゃん」とは庶民のあこがれや夢の象徴です。そして、矛盾だらけのコスチュームに身を包むチャーリーは放浪者にして紳士である、「誰でもない、どこにもいない、だからみんなが共感できる人物」です。 つまり、チャップリンは「庶民・夢・権力」のシンプルな三角形をどこでもない「公園」に置いて、人間の感情や社会の矛盾をリアルに描き、笑いに変えたのです。そのシンプルさの中に、チャップリン映画に誰もが共感できる秘密の一端があると言えるのではないでしょうか。
キャラクターの権利を世界で初めて確立させる
「誰にも真似のできないオリジナリティ」なんて表現をよく聞きます。しかしながら、オリジナリティというのは誰もが真似をしたくなるもので、また簡単に真似ができることも多いのです。チャップリンなどはその最たるもので、ちょび髭をつけて、山高帽をかぶって、ステッキを振り回してひょこひょこ歩いていたら、チャップリンを真似しているのだなということがわかってもらえます。 というわけで、チャップリンが1914年にデビューをして、瞬く間に人気者になると、そのオリジナリティゆえに世界中で模倣が横行しました。ドイツでは「チャーリー・カップリン」、メキシコでは「チャーリー・アップリン」などと、ふざけているのかと怒りたくなるような名前の映画俳優が多数誕生したのです。 これらの模倣俳優はどこに消えたのでしょうか? 答えは簡単で、1917年に、チャップリンが、模倣俳優たちを相手取って大々的な訴訟を起こしたのです。この裁判は前代未聞のものでした。当時は肖像権の概念もしっかりとは確立されておらず、映画俳優がどんな格好をしようが勝手だし、髭ぐらい誰でもつけるではないかと思われていたのです。 ところが、裁判所は画期的な判決を下します。「かの扮装はチャップリン氏の産み出したオリジナルなものである。今後、チャップリン氏の模倣を許可なく行なうことを禁止する」。チャップリンは、世界で最初にキャラクターの肖像権を認めさせた人物となったのです。 この裁判を主導したのは、当時チャップリンのマネージャーをつとめていた異父兄シドニーでした。彼は映画作りに没頭する天才の弟にかわって、実務全般を担当していました。兄シドニーが「キャラクターの肖像権」に法的な根拠を与えたことは、〈チャップリンのオリジナリティ〉を確立させた礎の一つとなりました。 裁判で弟のキャラクターの著作権を法的に認めさせたシドニーは、今度はそのキャラクターを使って、世界で初めてのキャラクター・ビジネスを始めます。こうして、「チャップリン人形」「チャップリン歯磨き」「チャップリン・マッチ」など、おびただしいキャラクター商品が誕生しました。チャーリーのキャラクター・ビジネスは、現在もチャップリン家のマーチャンダイズ会社であるバブルス社によって行なわれています。 ※「*」がついた注および補足はダイジェスト作成者によるもの
コメント
完璧主義者だったチャップリンは、納得いくまで同じシーンを何十回と撮り直し、膨大なNGフィルムが生まれたという。残されたNGフィルムをすべて閲覧した著者によると、例えば2分間のギャグシーンであれば、数十回の撮り直しの末、最終的なOKテイクでは10秒の短さになっていたそうだ。どれだけ面白いギャグであっても、ストーリーにとって無駄があれば容赦なく切り捨て、「本質」だけを残したのだという。また、チャップリンは時代がサイレント映画からトーキー(発声映画)になった後もサイレントにこだわったが、トーキーの録音技術を生かして音楽をつけたり、権力者にだけセリフを与えるなど、テーマに不可欠な時のみ効果的に新技術を導入したそうだ。「放浪紳士チャーリー」のキャラクターもそうだが、「シンプルだけど可笑しい」という要素を徹底的に追求したことが、チャップリンとその作品が100年の歳月を経ても世界中で愛される理由の一つなのだろう。
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