「和食」が2013年にユネスコ無形文化遺産に登録されたことからもわかる通り、日本人は、各地でその土地の豊かな自然や食材を生かし、独自の食文化を築き上げてきた。 しかし、そもそもなぜ日本列島は、多様で美味しい食材に恵まれているのだろうか。背景には、意外にも「地質学」的な要因があるようだ。 本書は、地球や日本列島の歴史などを調べてきた「マグマ学者」の著者が、日本列島と和食の関係を「美食地質学」として考究し、まとめたものだ。 和食の食材が育まれてきた背景には、火山活動やフィリピン海プレートの運動など、地球や日本列島のダイナミックな営みがあるという。蕎麦処が活火山の近くに多いのは、ソバが火山性土壌でも育つ特性を持つことが理由の一つだ。また、筋肉質な魚を育む瀬戸内海の潮流の速さは、「瀬戸」「海峡」「灘」からなる独特の地形に関係する。 著者は、地球の進化や超巨大噴火のメカニズムを「マグマ学」の視点で探究している。1954年、大阪府生まれ。東京大学大学院理学系研究科博士課程を修了。京都大学総合人間学部教授、東京大学海洋研究所教授、神戸大学海洋底探査センター教授などを歴任。
耕作に向かない火山性土壌の土地に蕎麦処が多い理由
いくつかの例外(幌加内、深川、金砂郷、出石、祖谷、椎葉など)を除けば、蕎麦処は活火山の近傍にある。ソバの生育には、冷涼な気候が必須である。まさに火山地帯はこの条件を満たすのだ。というのも、日本列島の火山の多くは、過去のマグマ活動と地殻変動によってできあがった山地の上に形成される。そのために標高が高くなり涼しくなるのだ。 もう一つソバには大きな特徴がある。ほかの作物は育ちにくい痩せた土壌でも育つことだ。蕎麦処はほぼ全てが黒ボクと呼ばれる火山性の土壌である。この土壌は作物の生育に必須のリンが、土中に含まれるアルミニウムや鉄、カルシウムと結合して粘土鉱物などに固定されてしまう。こうなると作物はリンを吸収することができない。つまり火山性土壌は一般的には耕作には向かない。 しかし、ソバはそのような土でも育つことができる。加えてソバは、ほかの植物にはない驚異的な能力を持っている。火山性土壌に含まれるアパタイトと呼ばれるリン酸塩鉱物は水に溶けにくく、多くの植物はそのリンを吸収することができない。しかし、ソバはアパタイトからリンを吸収することができるそうだ。蕎麦は変動帯(*地震や火山が集中するゾーン)の民が生き延びるために育んできた食材といえよう。 長野県は国内のソバ生産の中心地の一つである。蕎麦王国・長野の背景となった火山と山地の形成であるが、これら2つの地学現象が最も典型的に見られるのが日本の屋根、北アルプスである。 北アルプスでも、約300万年前から始まった日本海溝の西進による「東西圧縮」が造山運動の原動力となった。爺ヶ岳火山とその地下にあったマグマ溜まりである黒部川岩体の東西断面(*を見てみよう)。ここで重要なことは、爺ヶ岳火山を造る地層の傾斜だ。これらの地層は、爺ヶ岳の激烈な火山活動によって形成されたカルデラの内部にほぼ水平に堆積したものである。それが今は、約45度傾斜している。すなわち、黒部川岩体と爺ヶ岳火山は、一つのブロックとして回転運動を被ったことになる。 北アルプス周縁には多数の断層が走るが、これらの断層付近の地質を見ると、このブロック回転は日本列島にかかる東西圧縮力によって、断層沿いに起きたことが分かる。日本有数の蕎麦処・長野県では、まさに日本列島で起きてきた造山運動が集約的に起きているのだ。長野を訪れてご当地蕎麦をすする時には、ぜひこの地で起きたダイナミックな変動を思い起こしていただきたい。
筋肉質で旨味の多い魚を育てる瀬戸内海の高速潮流
瀬戸内海の多くの魚やタコが美味い理由は、速い潮の流れの中で育つことにある。高速潮流を泳ぐために筋肉質となり、エネルギー源であるATP(*旨味成分であるイノシン酸のもと)、そしてタコの場合はアミノ酸(*旨味成分のもと)も豊富なのだ。 なぜ内海である瀬戸内海で潮流が速くなるのか。瀬戸内海には島が多く同時に陸が迫り出し、古来「瀬戸」と呼ばれてきた場所がある。さらに島は存在しないが、陸が広がり海が狭くなっている所は「海峡」と呼ばれる。一方で、瀬戸や海峡の間には比較的海が広がる「灘」がある。淡路島の西には播磨灘が広がり、また東側の大阪湾も灘の一つと見なすことができる。 瀬戸内海が外洋へとつながる場所、太平洋側の紀伊水道や豊後水道では、地球潮汐によってほぼ同時に満潮となる。その後、この海水面の高まりは、大きな波となって瀬戸内海へと押し寄せる。しかし、淡路島や佐田岬半島がダムのようにこれを堰き止めるために、大波が紀淡海峡・鳴門海峡、それに速吸瀬戸を通り抜けて瀬戸内海の内部へ伝わるには時間がかかる。播磨灘や燧灘周辺が満潮となるのは、太平洋側より5時間程度も遅れてしまうのだ。 この時太平洋側では海面は低下しており、その低い潮位はすでに紀伊水道や大阪湾にまでおよんでいる。その結果、例えば明石海峡や鳴門海峡の両側では、海水面に1メートルを超える大きな段差が生じる。そのために海水は低い海水面の大阪湾と紀伊水道に向かって流れ込み、高速潮流が発生するのだ。 潮の流れが速いと、海中や海底の細かい粒子、つまり泥は流されてしまう。だから、瀬戸や海峡の周辺では海底に粗い砂しか溜まらず砂地となる。一方、比較的潮流が遅い灘では泥がちの堆積物が海底を覆う。実は瀬戸内海のこの変化に富んだ底質も、多様な魚を育む大きな要因となっている。 例えばトラフグだ。瀬戸内海では下関のほかにも、広島県尾道市の向島と因島に挟まれた「布刈瀬戸」、岡山県と香川県を隔てる「備讃瀬戸」でトラフグの産卵が確認されている。いずれも高速潮流が発生するために砂がちの底質である。 一方で、灘は潮の流れが穏やかで、海底には粒子サイズの小さな泥が堆積する。このような場所に暮らすのが、アナゴやハモなどの「底生魚類」である。大阪湾、播磨灘、燧灘などが生息場所となる。
「堅豆腐」が作られる地域の共通点
日本列島では、海溝からプレートが沈み込むことによってマグマが発生して火山が密集している。マグマが地下で固まることで地盤が厚くなり、これにプレートからの強い圧縮が相まって、日本列島は山国となっている。そのために河川は急流となり、地盤中のカルシウムやマグネシウムを溶かし込む時間がないために軟水の国となった。 和の多様な食材の中でも、豆腐は最も身近なものの一つだろう。豆腐の9割ほどは水分であることから、日本列島を特徴づける「軟水」が日本の豆腐文化に大きな影響を与えたことは想像に難くない。 豆腐を作るには、大豆に含まれるタンパク質を抽出する必要がある。そのために、まず大豆を水につけて柔らかくした上で細かく砕いて「呉」を作る。日本ではこの呉を煮て豆乳を搾る「煮搾り」が一般的であるが、中国や沖縄(島豆腐)、それに日本の各地に残る堅豆腐の一部では、呉を煮ずに豆乳とおからを搾り分ける「生搾り」を行う。 次は豆乳へと抽出したタンパク質を凝固させて豆腐とする工程だ。滑らかな食感が特徴の「絹豆腐」は、凝固剤を入れた型箱に豆乳を流し込んで均質化し、その状態で静かに凝固させる。絹豆腐では一般には圧搾を行わないために水分が多く柔らかい。 大豆から抽出されたタンパク質を結合させるのが、マグネシウムとカルシウムイオンである。いずれも凝固剤であるにがりとすまし粉の主成分であるとともに、硬水と軟水の分類に用いられることにご注目いただきたい。 硬水を用いて製造した呉には、すでにタンパク質を凝固させるこれらの成分が含まれている。(*そのため、結果として)硬水呉では生搾りを行う方が大豆タンパクの多い豆乳を作ることができる。しかし、煮搾りの豆乳に比べるとタンパク質の量は少なく、収量も悪くなる。だから、凝固物に含まれる多量の液体成分を絞り出すために強い圧搾が必要となる。その結果、生搾りで作られた豆腐は堅くずっしりとしている。 中国やカルシウムが主成分のサンゴ礁の地盤が多い沖縄のような硬水優位の地域では生搾りが用いられ、日本列島の多くの地域では軟水を利用することができるために、滑らかな豆腐を作る技法として煮搾りが発達したものと考えられる。 一方で沖縄以外にも「堅豆腐」は残っている。例えば、九州では熊本県・五木や宮崎県・椎葉、四国では土佐豆腐、中部地方では石川・岐阜・富山県境付近の白山、五箇山、利賀など、そして関東では神奈川県の大山豆腐などである。これらの堅豆腐地域にも沖縄と同様に石灰質の岩石が分布しているのだ。石灰岩の主要成分はマグネシウムとカルシウムであり、これらを溶かし込んだ硬水が堅豆腐製造に適していたと推察される。 ※「*」がついた注および補足はダイジェスト作成者によるもの
コメント
蕎麦処や堅豆腐が作られる具体的な地域から、地質学上の共通点を引き出す思考は帰納的であるといえる。一方、地質学上の特徴を押さえた上で、演繹的な思考で適した水や食材のある土地を選ぶこともできるだろう。本書では、日本列島に多い軟水が昆布の旨味成分グルタミン酸を効果的に抽出できる一方で、ヨーロッパに多い硬水がブイヨンの旨味を引き出すのに適していることも紹介している。そうすると、国内でも硬水の湧く地域のフレンチは美味しい、という考え方が成り立つ。いずれにせよ、作り手も、食べる人も、地質学的な知識を持つことで、より深く食を楽しめるのは間違いないだろう。
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