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書籍

発刊 2022.09

人に優しいロボットのデザイン

「なんもしない」の心の科学

  • 高橋 英之

  • |

  • 福村出版

  • |

  • 216p

  • |

  • 2,640円(税込)

科学技術

文化

自然科学

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目次


1.なんもしない人の誕生 2.他者の存在を感じる心の仕組み 3.「何かする他者」がもたらす不自由、「何もしない他者」がもたらす自由 4.「何もしない」はデザインできるか? 5.ロボットに宿る心 6.ロボットと暮らす女性 7.自己開示を引き出す「なんもしないロボット」 8.なんもしないロボットが人間集団に与えるインパクト 9.「人工あい」の提案 10.枯れない「あい」を求めて 11.感覚から寄り添うロボット、物語から寄り添うロボット 12.ロボットの背景世界を創り出す 13.あいがあるロボットの三条件 14.インフラとしての「人工あい」 15.「なんもしない」と「あい」の科学を目指して 16.心は冒険したがっている


ロボットやAIの技術が飛躍的に進化し、さまざまな用途で使われるようになってきた。高齢者などの見守りロボットや、話し相手になってくれるコンパニオンロボットも普及し始めている。 だが、人間に寄り添い、その心の支えになり、いるだけで元気になれるようなロボットの開発は簡単ではないようだ。 本書では、とくに「何もしない」、すなわち人間に対して働きかけをしないが、人の心にポジティブな影響を与えるコミュニケーションロボットの可能性を、心理学、脳科学、哲学などの知見を駆使し、著者の研究室での試作や実験の紹介を交えながら探っている。 数年前に、ツイッターなどで募集をかけて話題になった個人のサービスに「レンタルなんもしない人」がある。とくに具体的なサービスをするわけではないが、人数合わせや、一人では行きづらい場所に同伴してもらうなどの目的で、呼び出し「そこにいてもらう」というユニークなサービスだ。その存在を知った著者は、そのサービスに、真に役立つコミュニケーションロボットへのヒントを見出す。 著者は大阪大学大学院基礎工学研究科特任准教授。博士(情報科学)。ロボットの心理学、コミュニケーションの認知科学を専門とする。


「何もしない」ことで「目に見えない基準」の関係性をつくる

 私の研究テーマは「コミュニケーションロボット」です。ただ便利なだけではなく、人間の心を支える、元気づける、そんなロボットを開発できたらいいな、と思いながら日々研究しています。  私は研究者という職業柄、いろいろなところで講演をすることがあります。その際、いつも講演の冒頭で聴衆のみなさんに次のような質問を訊ねます。「ここにあなたに愛の告白をする二人の人がいます。一人目はあなたにこう言います。『私は理由が分からないけどあなたのことが好きです』。それに対して、もう一人はこう言います。『私はあなたの太陽みたいな笑顔が好きです』。さてみなさんは、どちらの告白に真心を感じますか?」  この二つの告白の違いとして、前者の告白は「理由が分からないけど」と本人が述べているように明確な理由がない「目に見えない基準」にもとづくのに対して、後者の告白は「太陽みたいな笑顔が好き」という「目に見える基準」にもとづいたものであることが挙げられます。  ところであるとき、ツイッターで活躍する「レンタルなんもしない人」(以下、レンタルさん)の存在を知りました。レンタルさんは、人々の依頼に応じて、ただ「そこにいるだけ」を提供する人のことです。たとえば、「◯◯をしたいんだけど、一人だと厳しいので、レンタルさん来てください」みたいな形で依頼がなされます。  レンタルさんは名前の通り、何もしません。この「何もしない」というのは、サービスを提供する、という観点からすると、これまでの常識ではネガティブに感じられることもあるかもしれません。  しかしサービスを提供する上で、「何かする」ということは、相手からこちらに何かしらの基準に従った働きかけを行うことを意味します。この働きかけによって、相手の存在する意義に理由づけがなされてしまい、自分と相手の関係が「見える基準」によって規定されてしまうのです。  たとえば、相手が自分に親切な行為をしてくると、「自分が世話になっている人」という「他人から見える基準」で自分と相手の関係性が説明できてしまいます。このような説明をすることにより、「相手から恩を受けているので、返礼しなくてはいけない」といった、社会通念に従った相手への無用な気遣いが発生してしまいます。  一方で、「何もしない」ということは、理由もなくただ自分の傍に他人が居る、という関係の成立を可能にするのです。  「そんな理由づけもできないような人間関係にそもそも意味はあるんですか?」という声が飛んできそうですが、他人が傍にいるという事実だけで、我々の心理や脳の働きは様々な潜在的な影響を受けます。他人の存在によって、作業の速度が向上する、喜びが倍増する、苦しみが減る、自分について語りたくなる、などなど、他人が傍にいることがもたらすポジティブな心理的効果というものは無数にあります。  レンタルさんは当然、この効果を相手に提供しようなど一切考えていません。ただ「何もしない」ことにより、関係性の意味づけを、依頼人にすべて委譲してくれるのです。  レンタルさんのような「何もしない」状態を人工的に実現することで、「他人から見えない基準」にもとづく欲求の受け皿として、多くの人から受け入れられる新しいロボットを生み出すことができるかもしれません。

ディスプレイ上の丸の上下運動で緊張感は和らげられるのか

 私の指導学生であった南明日香さん(大阪大学大学院修士課程卒業)の研究テーマは、(*寄り添うことで)人間の緊張を緩和してくれるロボットを創り出すことでした。  南さんは、パソコンのディスプレイ上の片隅にひっそり提示する単なる丸(幾何学図形)の上下運動の映像で、「誰かが傍に居てくれる感覚」を創り出すことができないのか、というアイディアを思いつきました。  そこで私と南さんは、お絵描きソフトのように丸の上下運動のリズムや速さを自由に誰でも遊び感覚でデザインできるソフトをまず開発しました。そしてそのソフトを用いて、多くの人たちに「生き物が喜んでいるような丸の上下運動」「生き物が不安そうな丸の上下運動」などを自由にデザインしてもらいました。  そして多くの人が作成した様々な丸の上下運動のパターンを人工知能のシステム(ディープラーニング)に学習させることで、様々な感情を伴った生き物らしい丸の上下運動をシステムが自動的に生成できるようにしようというのがこの研究の狙いでした。  結果として、人工知能のシステムは様々な感情を人間に抱かせる丸の動きを狙い通り自動的に生成することが可能になりました。そして南さんは自らの卒業論文の発表会において、自分の開発したシステムを実際に使用してみて、発表時の緊張を抑えられるのか、身をもって検証をしました。  結果、「緊張したときに丸の方をみると少し安心した(思い込みかも知れませんが)」、「一方、本当に緊張をしてしまうと丸の動きに目を向ける余裕がなくなる」、というコメントを南さんは述べていました。  「物理的にロボットが傍にいてくれる」という感覚は、自分自身の気持ちにある程度は余裕があるときには有用なのかもしれませんが、気持ちに余裕がなくなってくると、そもそもそのロボットの方に注意を向けることすらままならなくなります。

感覚を刺激して左手に憑依させることで存在を感じさせる

 学部を卒業して大学院の修士課程に進学した南さんは、新たな寄り添いロボットの開発を始めました。具体的には、FinU(Friend in You)というシステムを開発しました。一言で述べるとすると、自分の左手に意志をもったキャラクターが憑依した感覚を得ることができる装置になります。そのキャラクターのことを「レフティ」と呼んでいます。  このFinUというシステムは、自宅で使用するための「FinU-box」と、出先で使用するための「FinU-band」という二つのディバイスから構成されています。  FinU-boxは上部にディスプレイが装着された箱で、ユーザーがその中に左手を入れると、ユーザーの手に目と口がついたかのようなレフティの映像がディスプレイ上に表示されます。また箱の中には、左手に憑依したレフティの瞬きや口の動きに連動した触覚刺激をユーザーの手に加える装置も搭載されています。さらに箱の中にはスピーカーも置かれており、レフティは目や口を視覚的に動かしながら、ユーザーの手の甲の触覚を刺激し、同時に様々な言葉をユーザーに対して音声として発することが可能になっています。  すなわちユーザーはFinU-boxに左手を入れることにより、視覚、触覚、聴覚の三つの感覚によってレフティの存在を密に左手に感じることができるのです。  一方でFinU-bandは、手の甲に携帯用のディバイスをバンドで巻き付けて使用します。FinU-bandの中にはFinU-boxと同様にユーザーの左手を触覚的に刺激する装置が埋め込まれています。しかし視覚的、聴覚的な情報をユーザーに呈示する装置はFinU-bandには組み込まれていません。  ユーザーが自宅などでFinU-boxを用いてレフティとの密な感覚的なコミュニケーションをとることによって、ユーザーの中に左手に本当にレフティが憑依しているのだ、という信念が形成されます。それにより、FinU-bandの振動だけから、「レフティがそこに居てくれるのだ」、という感覚をユーザーが出先でも得ることが可能になる、という仮説を我々は立てました。  この仮説を検証するために、我々は評価実験を行いました。まだまだ予備的な検討に留まってはいますが、実験で得られた結果は、仮説と矛盾しないものでした。  以上の研究の結果は、対面のコミュニケーションでロボットとの思い出を密に創り、後にそのロボットを匂わせる刺激の一部だけをユーザーに提示することで、ユーザーはロボットの存在を常に傍に感じることができることを示唆しています。 ※「*」がついた注および補足はダイジェスト作成者によるもの

コメント

「レンタルなんもしない人」は、「何もしない」といっても黙って座っているだけではないそうだ。話しかければ無難に受け答えをし、誘われればゲームにも参加する。話しかけられても黙っていたりすると、何らかのメッセージを発してしまい、「何もしない」ことにならないのだ。とはいっても、会話の主導権を握ったり、自分から誰かに話しかけることはしない。その微妙な匙加減は、案外難しく、ロボットならなおさらだろう。だが、著者の研究に挑戦する価値があるのは、英国や日本などで「孤独」担当の大臣が任命されるなど、単身世帯や「ひきこもり」の増加、コロナ禍による交流機会減少といった問題への対応に迫られているからだ。ロボットを孤独を癒す「人間の代わり」とするのと同時に、人同士のコミュニケーションを促進するための入り口として開発する方向もありそうだ。

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