人々の「食」を賄う農業、漁業などの第一次産業では、人手・後継者不足に悩み、さらにコロナ禍では外食産業からの需要が激減するといった要因で、衰退の危機の只中にある。 とくに日本の漁業は、環境問題などによる漁獲量の減少、複雑なサプライチェーンによる価格高騰もあり、さらなる苦境に立たされている。 2022年10月から放送されている同名テレビドラマの原作でもある本書は、当時24歳の、離婚後、翻訳業などで糊口をしのいでいたシングルマザーが、ひょんなきっかけから山口県・萩大島の漁師と出会い、新しいビジネスを立ち上げ起業し、成功するまでを描くノンフィクション。 「新しいビジネス」とは、アジやサバなど「メインの魚」ではないがゆえに、捨て値で売られる、市場に放置、あるいは廃棄されている魚に目をつけ、漁協や卸を通さず消費者に届ける「粋粋(いきいき)ボックス」というサービス。なお書名の「ファーストペンギン」は、生き残りをかけて危険を顧みず、率先して海に飛び込む一匹のペンギンを指す言葉で、著者がそう呼ばれることが多いのだという。 著者は1986年生まれ、株式会社GHIBLI代表取締役として「船団丸」ブランドを展開する。2016年には米「フォーブス」誌が、特筆すべき活躍をしたアジアの30歳未満30人を紹介する「30 UNDER 30 Asia」に選出された。
フードロス問題、漁業者、消費者「三方良し」のビジネスモデル
GHIBLI(ギブリ)は山口県に本社を置く、魚と農産品の販売を主なビジネスにする株式会社だ。日本では多くの魚や農産物は漁協や農協などの出荷団体に集まり、仲買人(仲卸業者)と呼ばれる中間業者を経由して、全国の小売店の店先に並び、消費者に届くシステムになっている。しかし、GHIBLIでは獲れた魚や野菜を漁獲、収獲から半日以内に生産者自身の手で箱詰めや加工処理をし、「船団丸」ブランドとして直接、全国の消費者に届けている。 2009年12月。私は萩市内にある旅館の宴会場にいた。ビールを運ぶ私に突然、50歳くらいの男が声を掛けてきた。しつこく声を掛けてくるその漁師に適当に相槌を打ちながら、なんとかその場を凌いだ。いま思えば、その瞬間こそ、後に一緒に「萩大島船団丸」事業を立ち上げる長岡秀洋との最初の出会いだった。 大学を中退後、山口県出身の男性と結婚し、私は初めてこの街に来た。結婚してすぐに男の子を授かったが、2年半あまりで別居。正式に離婚が成立するまでには、さらに2年近く要した。その間、小さな息子と暮らしながら、どう二人の暮らしを立て直すか模索していた。 幸い高校、大学時代に留学経験があり、当座の生活費は英語を使った翻訳などの仕事を請け負うことでギリギリ賄っていた。ある日、地元の観光協会から翻訳の仕事をもらったときに紹介された旅館の経営者から、「旅館を改革したいから、協力してもらえないか」と依頼があった。私は仲居さんを指導するという名目のもと、ビールを運んだりと積極的に座敷に出るようにしていた。 長岡から声を掛けられた数日後、たまたま入った宴会に偶然にもまた彼がいた。これもなにかの縁だと思い、私は自分の名刺を差し出した。「なにかお役に立てることがあれば声を掛けてください」 年が明けた2010年1月。長岡から突然電話がかかってきた。指定された喫茶店に出向く。「実はあんたに相談があって来たんじゃ。ここいらの海は魚が獲れんくなっとる。魚を獲るだけやなくて、なにかやりたいと思っている」 仕事をいただけるのは願ったり叶ったりである。問題は私に漁業についての知識がまったくないことだ。だが、もともと、漁業や農業といった一次産業には興味があった。私はきっぱりとこう言っていた。「わかりました。なにができるかわかりませんが、考えてみます」 実際に、長岡たち漁師が出航する様子や、港に戻ってからの彼らの作業を見学したところ、素朴な疑問が湧いてきた。漁で獲ってきたアジやサバは漁船から水揚げされると、漁協が運営する市場に運び込まれる。だが、メインの商品以外で網にかかった魚は、見る限り相当に安価で取り引きされている。翌日の競りまで市場に置かれたままだったり、最悪の場合、捨てられたりする魚もありそうだ。 「これを自分たちで売れば、いいのではないか」。タダ同然、または捨てられる魚がおカネに変われば、単純に漁師の収入増になる。なにしろ魚自体は新鮮そのものだ。これは(1)地元の水揚げ高にさほど影響を及ぼすことなく、浜での売れ残りやフードロスを減らし、(2)漁業者の収入が増え、(3)消費者も鮮度のいい安全な魚を食べられるという、三方良しのビジネスモデルになるのではないか。 早速、このアイデアを元に事業計画案を作成し、長岡たちに見せた。彼らから返ってきた反応は、「そんなことができるはずがない」。これは後で知ったのだが、長岡たちも自分たちで獲った魚の一部を直接、消費者に売れないかと検討したことがあったらしい。しかし、萩の浜ではその案が採用されることはなかった。地元の漁協関係者からすれば、自分たちが蔑ろにされるようで面白くないのだろう。
農水省の「六次産業化」認定事業者に
しばらくしたころ、ある知らせが飛び込んできた。農林水産省が「六次産業化・地産地消法」に基づく認定事業者申請を受けつけているという情報だ。 六次産業化とは、農林漁業者(いわゆる一次産業)が農・水産物などのもともと持っている価値をさらに高めるため、生産だけでなく、自ら生産物の食品加工(二次産業)から流通・販売(三次産業)までを手掛けることで、農林水産業を活性化させ、農村漁村の経済を豊かにしていこうという取り組みだ。 中国四国農政局山口地域センターから担当者が萩に来てくれ、認定事業者申請要綱が書かれた資料をもとに説明してくれた。私がイメージしていた「自分たちで獲って(生産)」「自分たちで箱詰めして(加工)」「直接、消費者に送る(流通・販売)」というビジネスモデルは六次産業化の考えと一致する。 説明会が終わり、萩市内で夕食をとりながら長岡たちと決起会をした。2010年10月。任意会社「萩大島船団丸」の誕生の瞬間だ。 「萩大島船団丸」の六次産業化事業プランはこうだ。 1 萩大島で獲れた魚のうち、主力商品のアジとサバは従来と同じように漁協の管理する市場に出荷する。 2 それ以外のイサキやスズキなどの混獲魚を、「粋粋(いきいき)ボックス」という商品名で箱詰めして、注文した消費者に直接販売する。 3 粋粋ボックスで販売する混獲魚は、船の上で新鮮なうちに消費者の希望に応じて処理をする。 4 「船団丸ブランド」で販売する魚は市場に水揚げする魚とは区別し、徹底した品質管理や手当てを施す。 5 粋粋ボックスに詰めて直接販売する一部のアジやサバについても、市場に卸すものとは分けて温度などを管理することで商品価値を高め、ブランド力を付ける。 私は早速、計画書を農林水産省に提出した。2011年3月のことだ。その後、細かい書類の作り直しや、何度かの審査を経て、1年2ヵ月後にわれわれ萩大島船団丸の六次産業化事業計画は、無事に国の認定事業に選ばれたのである。しかも、山口地域農政局から申請した多くの事業者のなかで、水産分野の認定事業者第一号として。
地元漁協関係者からの抵抗に、粘り強く説得
萩大島船団丸の六次産業化事業は、一部とはいえ漁師が市場を通さずに消費者に魚を販売するのだから、既成のルールから逸脱したものであることは間違いない。ただ計画書の申請にあたり、各所と調整するなかで、われわれは自分たちの利益だけを追求して自家出荷をするのではなく、「物流」は最短時間で魚を届けるための直販にするが、萩市内での商売の流れ、つまり「商流」は従来どおりという計画にした。 しかし、(*漁協関係者から)当初からある程度の抵抗があるのは覚悟していたが、われわれ萩大島船団丸のメンバーに対するそれは、こちらの想像を上回るものだった。 困ったのが、粋粋ボックス用の資材だ。魚を詰めるスチロール製の箱と、魚を傷めないための氷やパーチ(魚の変色を防ぐためのシート)、緩衝材などが必要になる。こうした資材は、漁協と関係が深い設備業者から調達するのが一般的だ。ところが、どうしたことか、船団丸で使うものに関しては納品できないと言われてしまった。 われわれはあくまで萩大島において本来の価値以下で取り引きされている魚を正当な価格で売りたいだけだ。それは島の漁師の生活の安定につながるし、消費者にもメリットがある。そう説得する日々が続いた。 私の粘り強い、正確に言えば諦めの悪い姿に、少しずつだが耳を貸してくれる漁業関係者も現れた。当時の「漁協はぎ」統括支店長がその一人だ。「たいした量じゃないんじゃろう? ……がんばれや」。この一言は大きな励みになった。結果的に「漁協の統括支店長が『がんばれ』って言いました」と言い続けたら、ドミノ倒しのように申請に向けての地ならしが進んでいった感じだ。 こうしたことの積み重ねで、ようやく地元漁協とも妥協点を見つけることができた。多くの人に助けられながら、粋粋ボックスはなんとか出荷できる態勢ができていった。 ※「*」がついた注および補足はダイジェスト作成者によるもの
コメント
ダイジェストでは、事業立ち上げまでを取り上げたが、著者はその後、一人で料理店などへの地道かつ過酷な営業を重ね、2014年には株式会社GHIBLIとしてようやく法人化を果たす。その間、仕事量が増えた漁師たちの反発にあい、2船団が離脱したり、慣れない作業のミスからクレームが入り、再納品が相次いだことなどによる赤字経営など、苦労が続く。それでも漁業者、消費者、社会という「三方」に受け入れられ、事業を成功に導くことができたのは、著者のイノベーションが業界を「破壊」するものではなく「広げる」ものだったからではないだろうか。従来の商流をそのままに、消費者の需要と、漁業の可能性の拡大に努めた。争いを極力避け、反発や対立を粘り強く調整していくその姿勢は、日本型イノベーションの一つの模範になるものかもしれない。
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