新型コロナウイルス蔓延に伴い、医療体制に注目が集まった。必要な医療資源を確保するには、各医療機関におけるヒトやモノの管理が適切に行われなければならない。 またそれ以前から、医療の高度化、高齢化や地域医療への対応などの課題も多く、日本の医療は変革期にあるとも言われる。そんな中、各病院長はどうあるべきか。 本書では、多くは「院長」という肩書きで病院経営に携わり優れた業績を上げたトップ・マネジャーたちを対象とした調査から、医師でもある院長が、臨床医から経営者へ、どのように自らのアイデンティティを変化させ、能力を発揮するに至ったのかを、先行研究をガイドラインとしながら検証している。 日本では、医療機関のマネジメントを行う管理者は医師の資格を持っていなければならないことが医療法で定められている。院長に就任するまでにはさまざまなルートがあるものの、たいていの場合、臨床医として腕を磨く日々から、経営スキルを身につけ、発揮する立場への移行を迫られることになるようだ。 著者は、岡山大学学術研究院ヘルスシステム統合科学学域教授で、研究分野は泌尿器科学、神経泌尿器科学、泌尿器内視鏡学、ヘルスシステムマネジメント学。博士(医学)、博士(経営学)。トーマスジェファーソン大学神経泌尿器科学フェロー、ピッツバーグ大学神経泌尿器科学フェロー、岡山大学病院泌尿器科診療科長等を経て現職。
個人的、関係的、集合的という3段階のアイデンティティ転換
日本では、医師の資格、職務に関しては、医師法で定められており、一方、医療法において、病院や診療所など医療機関の定義、管理体制、人員配置や設備などについて定められている。病院管理者に関しては、医療法第10条で病院の管理者は医師でなければならないと定められている。 医師を志す者はすべからく卓越した臨床医になるべく、患者診療を通じ、知識や技術の習得に励み、経験学習を繰り返すことにより成長を遂げる。一方で、医師はまた、自らが属する病院という組織内において、一臨床医から、管理職である診療科長、さらには、経営責任を負う病院長というトップ・マネジャーへと職階をあがるキャリア・パスを歩む。一般的に卓越した医療技術、能力を獲得した医師が、診療科長、さらには病院長に選ばれる。 (*リーダーの成長に関する先行研究において)Hill(1992)は、マネジャーになることは、実務者から管理の初心者への役割の移行であり、アイデンティティの転換をともなうとした(*Hill, L. A.. Becoming a manager: Mastery of a new identity.)。Brewer & Gardner(1996)は、アイデンティティのレベルを個人的水準(個人的アイデンティティ)、関係水準(関係的アイデンティティ)、集合的水準(集合的アイデンティティ)の3つのレベルから捉えた(*Brewer, M. B., & Gardner, W.. Who is this "We"? Levels of collective identity and self representations.)。 個人的アイデンティティをもつ人は、自己の利益追求が行動のモチベーションとなる。関係的アイデンティティをもつ人は、他者との関係や結びつきを重視するため、特定の他者のための利益追求が行動のモチベーションとなる。集合的アイデンティティをもつ人は、ある集団のメンバーであること、すなわち特定集団との関係に敏感に反応するため、集団の繁栄や成長が行動のモチベーションとなる。
新しい分野を開拓するためにアイデンティティの水準を上げていく
独立行政法人国立病院機構岡山医療センターの青山興司名誉院長は医師になった当初より、小児外科医を志していた。しかしながら、当時は(*研修医として赴任した)国立岡山病院には小児外科という独立した診療科はなく、1972年4月大阪市立小児保健センター外科へ出向し、小児外科の修練を積む。1974年7月、国立岡山病院に戻り、自ら小児外科を開設した。 青山氏は、小児外科という当時は確立されていなかった分野の第一人者になるという強烈な個人的アイデンティティでキャリアをスタートさせている。小児外科医としての経験を重ね、さらに診療科長となり、自らリーダーとして肝移植という新規医療に取り組むことを決意した。 単に眼前の患者を治したいという自己の視点では、診療科全体で新規医療に取り組むことはできない。リーダーとして多くのフォロワーの能力、性格を統合できる関係的アイデンティティへと水準があがったため、周囲を巻き込み、チームとして肝移植医療にチャレンジできたのである。 その後青山氏は、1997年に川崎医科大学小児外科学の教授に就任する。目的は、学生指導を行い、後進を育てたいという気持ちが一番であったようだ。 川崎医科大学赴任後まもなく、国家試験対策担当教授となり、卒業生の国家試験合格率アップを任されることになった。青山氏が、まず学生に対しておこなったのは、「100人面談」である。彼が受けもつ医学部6年生100人全員に面談をおこなっている。 1人あたり1時間、2、3ヶ月間かけて面接をおこなった。そこでは学生1人ひとりの入学後5年間の試験成績資料を青山氏自ら作成し、その資料をもとに各自の弱点を分析し、個別指導をおこなった。その指導は学業だけに留まらず、生活指導にまで及んでいる。過去の国家試験担当教授はそのような指導はしておらず、すべて青山氏独自の指導法である。 次に、青山氏が岡山医療センターのトップ・マネジャーに就任してからのリーダー行動を記述する。国立岡山病院は、2001年の病院移転に伴う350億円の借金を抱えたまま、2004年4月独立行政法人岡山医療センターとして新たなスタートを切った。青山氏は、古巣から、法人化にあわせ、呼び戻されたのである。 経営素人の自分に何ができるかと考えた青山氏は、「職員が一丸となる」ことが最重要と考え、院長への権力と全責任の集中を宣言した。そして院長就任後直ちに、状況把握のための医師全員と他職種の管理職の個人面談をおこなった。高い力量をもつ医師や職員が多いことを1人ひとりの面談で感じ取った青山氏は、彼らの能力を最大限に引き出すマネジメントをおこなえば、経営状況は変わると感じたのである。 国家試験担当教授であったときの学生面談での成功経験が、病院経営改革に活かされている。臨床医時代に培った経験や個人的アイデンティティによるものではなく、集団全体の利益や繁栄がモチベーションとなった集合的アイデンティティに基づく行動である。 青山氏は、医師としてのキャリアを重ね、学生指導、若手医師の育成を通じ、チーム医療を確立していく中で、アイデンティティの水準を、個人的アイデンティティから、関係的、集合的アイデンティティへと変容させ、リーダーシップ機能を変容させている。トップ・マネジャー(*院長)になれば、さらに診療科長時代に比し、ステークホルダーの数や役割は増えており、同じ集合的アイデンティティでもその複雑性は高く、また高い水準で統合化され行動していた。
アメリカンフットボールの経験が病院経営に役立つ
今回調査した変革型リーダーとよばれる病院のトップ・マネジャーは皆、院長就任のほぼ直後から能力を発揮し、業績をあげている。しかしながらほぼ全員が、臨床医と院長の仕事の内容は全く異なるものであり、臨床医としての経験学習が、院長としての能力獲得、成功に関与していないと答えている。 「臨床を15年なり20年なりやったのは、医療の現場を知る意味において重要であったと思いますが、経営やマネジメントには全然役に立っていません。役に立ったのは、何といっても高校生のときから社会人になっても計13年間やったアメリカンフットボールです。これに尽きます。フットボールでチームが勝てるようなチーム作りをする要領で、病院経営をすれば必ず勝てます」(医療法人伯鳳会グループ 赤穂中央病院 古城資久理事長) 病院にはアメリカンフットボールのチームのように多種多様な人間が仕事に従事している。病院職員全てに安心感を与え、輝かせるような舞台を用意することにより、傾いた病院を立て直すことができたのは、アメリカンフットボールのチームを率いた経験によるものであると、古城理事長は語っている。 アメリカンフットボールの経験で獲得した能力は、臨床医としての能力には必要でなかったかもしれないが、トップ・マネジャーになって求められる役割が変化し、アイデンティティ水準の変容とともに、光が当てられる経験の領域が変化したと考えられる。これまでの経験の意味を改めて問い直し、再解釈することにより、従来のスキルや価値観を棄却するアンラーニングが可能となり、病院経営に反映されたと考えられる。 キャリアの節目(*病院経営の継承と経営危機)における、長い間抱き続け組み立てられた前提、信念、価値観への批判的な振り返りが、それらを再構築し、アイデンティティを変容することにつながったのではないか。つまり、批判的な振り返りが、これまで意味がないと思われていた経験にも光を当て、経験を再解釈することで、新たなパースペクティブを構築し、アイデンティティを変容させたのである。 ※「*」がついた注および補足はダイジェスト作成者によるもの
コメント
医療機関が一般企業と大きく異なるのは、本文にあるように、トップ・マネジャーである院長が必ず医師でなければならないという縛りがあることだ。すなわち、経営管理の知識や経験がほとんどない医師が、多くの場合、診療科長に就任することで突然管理能力が問われることになる。そのため、医師としては優秀でも経営能力が乏しいために、病院経営が立ち行かなくなるケースも少なくないようだ。ダイジェストで取り上げた青山名誉院長の場合、小児外科の確立、肝移植という新規医療への挑戦といった志を実現するのに必要だったこと(チーム医療のための周囲の巻き込み、人材育成など)が、臨床医から診療科長、そして院長というキャリア転換に必要なことと一致していた。高いレベルの目的や志を設定し、そのために何が必要かをキャリアの変化に応じて探し続ける姿勢を持つことが、成功の秘訣なのかもしれない。
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